将来、社会で活躍する有能な人材を育成する。
理事長もその考え方には一定の理解を示している。ゆえに、浜島の行動や態度にはあまり干渉はしない。
似内から見れば、少々行き過ぎと思われる言動もあるのだが。
まぁ それこそ私の口出しするところではないわね。
思い直し、だが、これまた思い出したように瞳を見開いた。
「あぁ、それから」
右手の人差し指と中指を、ふっくらとした唇に当てる。
「校長への昇格は、本当にご辞退なさるおつもり?」
そんなコトか。
浜島は露骨に眉をしかめる。
「どうも、私は誤解されているようだ」
右手をメガネに添え、意味ありげに視線を落す。
「私は教育者としてのみ、ありたいと思っています。権力に興味はありません」
「あら、校長という立場を、そのような色眼鏡でごらんになるの?」
嗜めるような声音に、浜島は小さく苦笑する。
「それでは、当校の校長、いえ、全国の校長先生方に失礼ですわ」
「申し訳ありません」
深々と頭を下げる浜島に、似内はクスッと肩を竦めた。
「まぁ 浜島先生のご意思は尊重いたしますわ。私が口を出す事柄でもありませんでしたわね。こちらこそ、出過ぎた物言いでした」
浜島ほどではないが、頭をさげ
「それから、男子バスケットボール部の廃部の件、理事長からまもなく承認がおりてきますわ。もう少しお待ち下さい」
それでは、失礼致します と最後に告げると、似内は入ってきた扉から出て行った。
結局、五月に理事長と直接話をした時から、何ら進展はしていない。
資金源の確保は、できていない。
「くっ」
誰も居なくなってしまった理事長室で、浜島は拳を握り締めた。
だが、諦めてはならない。生徒達のためにも―――
そうだっ これは生徒達のためなのだっ! この学校に通う、社会的地位と財力を兼ね備えた選ばれた少年少女を、下俗な社会から護るため。その為に、寮はどうしても必要なのだ。
今まで二年間、五月にも理事長に熱っぽく訴えた。
五月―――
浜島の脳裏に、少女が浮かび上がる。
五月とは、あの少女のボロアパートが火事で全焼した頃。
大迫美鶴。
あのような下劣な生徒が入り込まないようにするためにも、寮制度は必要なのだ。
浜島は退室しながら、改めて己の決意を再確認する。
理事長室の机の上に無造作に置かれていたスポーツ誌。一面を飾っていたのは、男子高校生の起こした傷害事件。被害者は年上の女性。
なんて浅ましい。なんて嘆かわしく、低劣で口汚い輩なのだ。きっとまともな教育も躾も受けず、常識も教えられず生活も不規則。貧困に追い回されて齷齪とした生活を送り、ゆえに心狭き存在として、世の中に不幸を撒き散らす。そのような環境に育った人間が、一流の教育を受け、恵まれた時間と場所を与えられ、優雅に己の才能を開花させる財力に味方された人間のように成長するわけがない。
生れ落ちた環境で、人間はある程度決まるのだよ。
環境に選ばれなかった人間は不幸だと思う。どうあっても選ばれた人間のようにはなれない。だから彼らの存在を否定しようとは思わない。だが、彼らの存在が、恵まれた人間の障害になってはいけない。
そうだ。選ばれた人間が選ばれなかった人間に、その価値ある未来を犯されてはいけない。
規律ある、平和な世の中になくてはならない価値ある人間は貴重だ。未来の宝だ。だから我々大人は、貴重な存在を護らなければならない。それが教育者としての使命。
唐渓に通う生徒達を、世間を騒がせて震撼させるような、あのような存在と接触させ、台無しにしてしまうわけにはいかない。
グッと拳を握り、思わず叫びそうになる。背後からの声掛けがなければ、少なからず声をあげていたかもしれない。
「浜島先生」
振り返る先で、華やかな女性がニッコリと笑った。
「これはこれは、廿楽さん」
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